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【体験記】車イスの団塊世代が世界遺産の棚田を救おうと挑戦した話

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「天国への階段」と讃えられる世界文化遺産『イフガオ』を知っていますか? イフガオはフィリピンのルソン島北部に位置する世界最大の棚田群で、棚田を横一列に並べると地球半周分に相当する長さがあります。フィリピン紙幣にイフガオが印刷されるぐらい、フィリピン人にとって大事な場所であります。

そんなイフガオが環境破壊によって、お米の収量が激減。それにあわせて働き盛りの若者が村を捨て、街に出稼ぎに行く負の連鎖が起きています。そんな中、現地でNPOとして活動する日本人から「助けてほしい!」と私に声が掛かかりました。ここまでだったら他にもありそうなエピソードですが、なんと私は障害等級1級の下肢障害者です。

この記事では、車イスの私でも「SDGs(エスディージーズ)(Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標))」を自分ごととして取り組んだ活動を体験記として体験談をご紹介します。そしてSDGsに向けて一歩目が踏み出せていない方の後押しになれば嬉しく思います。

今回の記事はこんな人にオススメです
  • イフガオのSDGsの取り組みに興味がある
  • シニアの海外貢献活動の体験談を読みたい
  • 地球環境改善の取り組みについて知りたい

自己紹介

列に並ぶフィリピンの子どもたちはじめまして、玉木文憲(タマキ フミノリ)です。2019年の夏に70歳になりました。

1969年に発生した東大安田講堂事件の影響で入学試験が取りやめになり、両親のいなかった私は大学進学を諦めて、株式会社西武百貨店に就職しました。その後、1995年に同社を退職し、有限会社ボールズを起業しました。

1984年に難病を発症し、当時は原因不明と言われながら重度の身体障害と約20年間戦ってきました。今では特定疾患の副腎白質ジストロフィーと病名が発覚しました。「車いすでも行ける世界旅行を開発しよう」と年に数回オリジナルの海外旅行を妻と重ね、その様子を自著「ふたりで紡ぐ世界旅」など出版物を通して発信しています。現在は「一人の健康から地球の未来まで」をスローガンとするフィランソという団体で、地球環境の改善を主眼とした活動をしています。

「天国への階段」イフガオが抱える課題

棚田で田植えをする男性イフガオは、紀元前の2,000年前からご当地に暮らすイフガオ族によって形成された巨大な棚田群です。棚田群はおよそ標高1,500mの高地にあり、平野部に比べると気温が低く、平野部では当たり前の二毛作ができません。

また山岳地帯に作られた棚田であるのでがけ崩れによる棚田の破壊が極めて多く、がけ崩れで収量が減少した家庭では若手の働き手が村を捨て、都市部に出稼ぎに行きます。その結果、壊れた棚田は置き去りにされ、その跡には都市開発の手が入り、棚田の美しい景観が失われつつあります。

さらに都市開発業者にとっては、棚田の間に生えている樹木など邪魔者に過ぎないので切り倒していきます。しかし棚田の岩や泥は、棚田の周囲に生えている樹木の根によって支えられており、軟弱な棚田が増えていきました。

現地から届いた「助けてください」の声

このような現状を打開しようとした立ち上がった日本人が、NPOを結成して地元の若い人と一緒に100~200万本の植林を行いました。なのに植林はこれといった成果を生み出しませんでした。さらに現代ではイフガオの就農者の高齢化が進み、従来の無農薬栽培では手が回りきらず、除草剤などの農薬を使う農家が増えてきました。

そのため周辺の水事情は更に悪化し、お米の収量が減少していきます。これを食い止めようと植林に打ち込んできた日本人から私に「助けてください」と声が掛かりました。

私の仕事は”活水技術”を広めることです。活水技術とは、水に本来の力を取り戻させ、環境改善につなげる技術です。そしてこれまで日本国内の農業・工業でお役立ちしてきたからには、イフガオから届いた話には、現地を見た上でじっくり話を聞く必要があるなと感じました。

しかし私は車イス利用の身体障害者です。フィリピンが国土丸ごとバリアフリーでないことはよく知っていました。だから話を聞いても返事は「ノー」と心に決め、この仕事は仲間にお願いするしかないと思っていました。

命をかけたイフガオへの渡航

ですが、現地から連絡をくれた方は私の書いた本の読者であり、世界中を車イスで飛び回っている私を知っていました。「どんなことでもやるから、ぜひ来てほしい」そんな彼の強い願いに折れ、稲の刈り入れ時である2018年9月にフィリピンへ飛びました。

イフガオは本当に遠いです。首都マニラから車で十数時間も夜通し走ってやっと着きます。途中トイレやコンビニはありません。そしてがけ崩れの土砂を乗り越えながら、やっと到着した彼らのアジトを見て私は声を失いました。

イフガオの住居は高床式です。とても車イスが近寄れる住居でなかったはずです。なのに地面から建物の床までコンクリートで固めた立派なスロープがつけられています。突貫工事で取り付けたのだろうが、コンクリートもしっかり固まっています。

高床式住居とスロープ

部屋の中央には軽量の手押し式の車いすが1台。しかも神輿のようなやぐらに乗せられている。

「これに乗ってください。私たちが担いで田んぼにご案内します」もうジタバタできない。神輿に乗った私は現地の人に担げ上げられ棚田に向かいます。

神輿で担がれる車イスの男性

私を乗せた神輿はしばらく山道を進んだかと思うと、手すりも何もない急な石段を登り始め山の頂に立ちます。あまりの高さに怖がっていた私の目の前に壮大な棚田の景観が大きく広がります。坂道を下り、橋を渡ると今度は渓谷沿いの30cmほどの細い道が現れます。

ここ数日降った雨のせいで道はぬるぬる。誰かが足を滑らせたら私は渓谷に転落し、最悪の場合は命を落とすかもしれません。さすがに危ないと判断し、神輿の進路を田んぼの中に切り替えました。頻繁に「怖くないですか?」と呼びかけられましたが、「怖い」とは答えられませんでした。

クレソンの青さが語る水の未来

フィリピンの棚田の風景イフガオイフガオの田んぼでは水を抜くことがありません。山の上の水源から365日間24時間、水は流れ続けるからです。だから日本の田んぼと違って水深が深く、稲刈りも根から狩るのではなく、水面に出た穂の部分だけを刈り取ります。残った稲の茎は水の中に残され、自然発酵して翌年の稲の肥料になります。2000年続いた稲作の秘訣を知ったようで私は嬉しくなりました。

また田んぼの片隅に湧水があふれ出る場所があり、その周辺には緑豊かなクレソンが生い茂っています。神輿を下ろされた私に担ぎ手の一人がクレソンをむしって「食べろ」と勧めてきました。イフガオの水で育ったクレソンはとても美味しく、このクレソンを育てた水ならば私たちの持参した活水技術がその性能を思う存分発揮するだろうと確信しました。

植物を蘇生させる水

活水するための道具20リットルのポリバケツにセットされた活水技術の機材は、素朴なものです。なのにこの機材によって生まれる水は、鉄をサビさせず、腐りかけた植物から芽と根を生じさせ、冷害の水田でも稲育てます。

当初、イフガオの住民は活水技術の導入に反対していました。しかし植林では棚田が守れないことにも気付いていました。そこで私を誘った日本人が「四体不自由でありながら世界を駆け巡っている玉木こそ、イフガオ住民をもっとも説得力できる人物ではないか」と思慮を巡らせ、私をイフガオに呼んだのです。   

田んぼから帰った私たちを待っていたのは、村人たちが集まって盛大にたかれた焚火と、心づくしの手料理でした。大きな蛍が群れ飛ぶ中を、私たちはともに歌い、ともに踊りました。この水がこの田んぼに限らず、周辺の棚田、フィリピンのすべての国土を潤し、生命力を蘇らせんことを祈って。

年明けのシーズン、真っ先に活水技術を導入した棚田は豊作に恵まれました。そしてその噂は瞬く間に広がり、2台目、3台目、4台目と導入されていきました。さらにキレイな水にしか生息しない水鳥や水生生物も帰ってきました。広いイフガオの棚田全体に効果が表れるには、まだ時間がかかりますが、イフガオの自然が戻り、安全なお米が収穫できるのはそう遠い未来ではないだろうと思いました。

最後に

日本人男性とフィリピンの子どもたち初めてSDGsのポスターを見た時、「なんだ、僕たちにもできることばかりじゃないか」と思いました。貧困をなくす、飢饉をなくす、すべての人に健康と福祉を、安全な水とトイレを世界中に、産業と技術革新の基盤を作ろう、海の豊かさを守ろう・・・たしかに潤沢な資金や多くの人手がある大企業にしかできないこともあります。

でも資金や人手があっても、ネットワークのか細さによってアクションの糸口さえ掴めずにいる企業もいます。私はたまたま活水技術の普及を仕事にし、そしてイフガオにつながるネットワークがあった。だからSDGsにつながるこのような取り組みができました。

私は世界70億人の中の1人であります。しかも障害がある。でも小さな力かも知れないけれど、SDGsに取り組む70億分の1として力を注ぎ込めました。「玉木にもできるのだったら俺にもSDGsの取り組みはできる」と誰かがそう思い、行動に移してくれることを期待し、初めてイフガオの取り組みを発信しました。さあ、一緒に行動しましょう!

 

参考サイト:

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